2002年6月号

一服の合間に



父、英敏の髪の毛が薄くなった話しから始まった。

(トシノ)どうしたこの頭薄くなってきて・・・
(英敏)そうかそんな気はしないけど・・・
昔は無理をしたせいかな〜昭和40年代頃、橋幸夫の髪型をまねした「いたご刈り」が流行ったんだ樽本では良い床屋がなくて田口(今の妙高高原町)まで髪の毛を切りに行ってきたもんだ(今で車で1時間)樽本では「いたご刈り」をしている人はいなく俺が最初のいたご刈りだった。(自称)それは有名になったもんだ!
今で言う、ちょっと前の聖子ちゃんカットみたいなものかな?

 

しかし良くやると私は思った(信行)今の時代でも樽本〜妙高高原町まで
車で1時間、昭和40年代なら何時間かかったのだろう?そもそも車は
あったの?


(英敏)そうだな初めて買った車だな中古の軽自動車だあの頃、
1日働いて800円だったあの車は15万円〜20万円位したかな、まだ車の台数も少なく樽本では自家用車を持っている人は2〜3人位しかいなかったぞ、免許書を持っていたら大変な時代だった免許書は紙で出来ていて洗濯をすると溶けてしまうんだ何回も洗ってしまった記憶がある。
あの当時、車は出始めだエンジンの始動は今と同じバッテリーだったがバッテリーとは何が何だか分からない2〜3日動かさないとエンジンがかからなくなりみんなで押してエンジンをかけたものだ。
車に乗っても大変だった樽本の坂道は急で車が上がっていかなった家に着くまでに30分くらい車を休ませないとオーバーヒートしてしまうんだ!
 初めて車が樽本に来たときの事は今でも覚えてる俺が小学校くらいの時だった農協のトラックが来るとの噂で夜遅くまで友達と待っていた排気ガスの匂いをかいだときは感動したものだ。

 

 

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