慶長年間(1596〜1615)、大鹿村の五郎右衛門が長崎から煙草の種子を持ち帰り、自家用に栽培したのが初めといわれています。 「寛文年間1661〜1673)の頃高田藩は煙草の改良増産を図り、元禄12年幕府へ献上して以来その名は全国に広まった。」(中頚城群誌) また、宝永年間(1704〜1710)隣村の花房村では出羽国の種子を取り入れて栽培しました。火山灰質の土壌が煙草栽培に適し、大鹿・花房を中心に作付け面積を広げました。 妙高村では、今でも葉煙草の生産が盛んに行われています。
また、宝永年間(1704〜1710)隣村の花房村では出羽国の種子を取り入れて栽培しました。火山灰質の土壌が煙草栽培に適し、大鹿・花房を中心に作付け面積を広げました。 妙高村では、今でも葉煙草の生産が盛んに行われています。