第7章 近代農業への布石

 

昭和28年始めて導入した耕運機
”クインテトラー"

 

我慢と苦悩の連続でした

昭和10年頃から世界は戦いの時代へ突入し、こんな山奥のむらも例外無く若者は戦争に組み込まれていきました。

この時代はここでの掲載をいたしませんが、語り尽くせない経験をしました。

ただヒトツ「死んだつもりでやれば何でもできる」と言いますが正にその通りの体験をしてきたことは事実です。

この経験が近代農業への脱皮につながったことは紛れもない事実となりました。

昭和14年5月入隊し昭和21年7月復員してからは奪われた青春を謳歌するように何をしてもすばらしかった。

新しくできた青年会活動で若人を結集して将来を語り集会所も自分たちで建設した。

さらに、他の地域の若人とも積極的に交流し大運動会も開催した。

そして、ついに念願の結婚をすることとなった。

戦争に出かけるときは小学5年生だった「トシノ」が私の妻となり、新しい時代は始まりました。

この年占領軍より農地開放指令が出て小作人は自分の田畑を持ち、将来に明るい日差しが漂ってきた。

さらに、山肌の小さな田畑100枚以上を5年間でまとめ作業効率を上げることもできた。もちろんブルトーザーが有る時代ではない、スコップと鍬そして馬・牛の力で完成した。

現金収入などは相変わらず無く、県の指導も手伝い「馬鈴薯」の副作そしてオムツの油紙からヒントを得て「保温苗代:稲の苗を育てるための簡易シート」、そしていよいよ昭和27年村で始めての耕運機を導入することとなる。

仲間からは良く言われた「3頭も牛がいるのに機械を買うなんて大馬鹿者だ」と・・・・・

夢は大きいでもまだ現代を予想している人は誰もいない。

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