第6章 この頃の農業経営

樽本の名物「山桜と滝」”人家絶えても山河あり

樽本の名物「山桜と滝」
”人家絶えても山河あり"

 

まさに無農薬有機栽培時代といっていい、

馬・牛・やぎ・鶏などの家畜を元とした自給肥料を中心に

高田早稲という 品種で今の収穫量からすれば半分程度であった。

第5章でも書いた通りほとんどが小作農家であったことから

刈入れご手に入る米はわずか一反当り1俵(60キロ)も あれば上々であった。

ある年新品種「農林1号」が発表され、村に専門技師を招き説明会を開いた。

この年から米 の出来高は一変した。

中頚城郡農業振興会 金子政治技師には村の功労者として心から感謝している。

このことから、単に米の生産量のみならず農業から生活向上のための助言を

青年達に伝授され将来に対して夢や目標が持てたことは大変な財産となっている。

昭和5年の年から開墾・作付けを大幅に拡大し借金返済をしつつ

昭和8年25俵の米を出荷したことは今でも忘れることが出来ない。

生活が貧しいのが貧困ではなく、

将来に夢や希望がないのが本当の貧困なのかもしれない。

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