第5章 昔の暮らし -その2- 大正から昭和時代

袴岳より妙高山を望む・樽本から田口へ木炭を運ぶ丸山与作さん

袴岳より妙高山を望む
樽本から田口へ木炭を運ぶ丸山与作さん

  日本全土が貧乏であつた。

この村も現金収入がなく自給自足の経済状況はまつたく変わらない時代だった。

そんな中木炭の生産(炭焼き)に次いで養蚕(かいこ)は多少の現金収入となり、

当時ブラジル移民などの大胆な食うがための発想は陰をひそめていった。

しかし、豪雪地帯のこの地にとって冬の東京圏への出稼ぎは欠くことのできない実態だった。

給料は1ヶ月3円そこそこ、春に帰るとき給金は10円程度、電車賃を1円90銭使い

なんだかんだの経費を引けば5円を親に渡すのが精一杯であった。

この時代を語ると食うがための想いのみが残る、

たった4-50年の過去にしてはスサマジイ記憶です。

しかし、そんな中で楽しいことも沢山ありました。

時折遠方から「ゴゼ」が三味線を弾き村の人々全員で酒盛り、

夜を明かし歌った。正月・お盆も近隣で「オヨリ組み」と称し仲間をつくり世間話に花を咲かせ、

踊り・歌い老若男女心をヒトツにしてふざけあつたことも今の時代にはない楽しい想いでる。

前へ
第4章 昔の暮らし -その1- 明治から大正時代
次へ
第6章 この頃の農業経営

目次へ