|
農業新時代がやってきていました。
昭和45年11月先祖の土地と山林を譲り、貢献者20歳の「英敏」を夢の柱とし
家族5人で現在の関山への進展を実施した。
時代は高度成長期と重なり頸南地区(現在の上越市・新井市・板倉・妙高)も
低賃金労働力を求め、工場進出ラッシュとなり農業貢献者は会社勤務に切り
替わつていって時代だった。いわゆるサンチャン農業の始まりの時代です。
1-2年は耕地も少なく家族全員で日雇いに出たり、近くの温泉場にアルバイト
をしたりとにかくその年を生き抜くための資金作りに懸命だった。
近くの方から土地の引き合いがありすぐさま政府の農業用地取得資金を借り
購入したことが転機となり、少しづつではあるが用地は増えていった。
しかしその用地も腰まで埋まるような近代農業を営むには遠い荒地ばかり、
そこで山の開墾をしてきた経験を生かし、自力で区画整理をし暗渠排水等を
積極的に実施し亀のようにゆっくりゆっくりではあるが良くなっていった。
こんな想い出があります。
農作業をしているとそうじゃまではないはずなのに「その車は邪魔!移動しろ。」
次ぎの日には「コノ橋渡ルベカラズ」とある。
一休さんじゃあるまいし、腹も立ったが私たちはよそ者と自覚し、夕方酒2本を
片手に持ち主にお詫びに行った。
しかし又断られ、私がコンクリートの橋を掛けますと言うと、馬鹿にされた、その
足で昔議員時代にお世話になった村役場の課長に事情を話したところすぐさま
予算化し橋は出来上がった。
小出という奴は誰なんだと言われ始めたのはこのころからであった。
明日の夢・希望・目標を実現するために先祖の大切な土地を手放しこの地に来た
私たちにとって泣いたり、非難・批判・不平を言っている余裕なんぞ無く、ただただ
もくもくと毎日の仕事を夢の実現に向かってやるのみの時代でした。
|